社長インタビュー

「祐」 が10周年を迎えるにあたり、
代表取締役社長 吉武 浩幸にインタビューを行いました。
多くの方々に協力をいただきながら歩み続けた10年の感謝と、
次の10年に向けた想い、そして経営者として考える
会社の未来について話を伺います。

Q1. 「祐」の発行10周年を迎えて、今、皆さまに伝えたいことはありますか?

心に残る手紙のような
“メディカル・レター”であり続けたい

 「祐(たすく)」は2012年10月に創刊しました。そして2022年、医療関係者の皆さまと祐徳薬品工業をつなぐコミュニケーション・ツールとして、「祐」は10周年を迎えることができました。医療関係者の皆さまにおかれましては、これまで発行した全44号のご愛読、そして取材へのご協力、誠にありがとうございました。
 そのサブタイトルにありますように、「祐」は祐徳薬品工業からの“メディカル・レター”として発行しております。全国の医療機関で行われている取り組みについて、社員自らが編集部員となり心をこめて誌面をつくり、医療現場への手紙としてお届けしています。医療関係者の皆さまへ話題を提供でき、少しでも役立つような存在となるような会報誌を目指しています。

心に残る手紙のような“メディカル・レター”であり続けたい

 コロナ禍において、病院の先生方への取材がままならない時もございました。それでも取材方法に工夫をこらして発行を継続できたこと、さらには「医療関係者同士の情報共有が難しい時期だからこそ『祐』を読みたい」とバックナンバーをご所望いただいたことも思い出され、大変うれしく感じております。
 今後も「祐」の発行をとおして、皆さまと祐徳薬品工業のコミュニケーションが深まればとの思いで、社員一同精進してまいります。

心に残る手紙のような“メディカル・レター”であり続けたい

Q2. 70周年を迎えた祐徳薬品工業。節目の年にあらためて心境をお聞かせください。

創業時から続く、
チームワークの良さと自由闊達さを大切に

 1952年(昭和27年)に創立された祐徳薬品工業は、2022年に70周年を迎えました。創業の地は現在も本社を置く佐賀県鹿島市で、創業者である森田判助を中心に鹿島市の医療関係者や名士・有志によって設立されました。
 皆が力を合わせて設立した企業らしく、社内のコミュニケーションは昔から良好です。チームワークにも優れており、良いと思ったことについては立場に関わらず自分の考えを発信できる雰囲気があります。この自由闊達さが、変革を恐れない祐徳薬品工業の社風を醸成し、自身が胸を張れる医薬品を70年間に渡り社会にご提供できたのだと自負しています。今後も地元・鹿島市に貢献しながら進歩を続ける所存です。
 また2021年は、救急絆創膏「カットバン」の発売60周年、そして2022年は「祐」発行10周年というアニバーサリー・イヤーになりました。これからも私たちの得意分野である「貼る」の領域を主軸にあらゆる薬剤の可能性を探りながら、医療関係者の皆さまのお力になり、すべての方々の健康のために努めてまいります。

創業時から続く、チームワークの良さと自由闊達さを大切に

Q3. これから先の10年、20年、そして100周年に向けて、どのように医療業界へ 貢献していきたいですか?

得意分野の「貼り薬」から、
健康寿命の延伸をサポートする

 得意分野の「貼り薬」から、健康寿命の延伸をサポートする  超高齢化社会を迎えた今、祐徳薬品工業の使命は、「貼り薬」のちからで健康寿命の延伸を後押しすることにあります。
 まず「貼り薬」の消炎鎮痛剤について、手の届きやすい価格帯での開発・発売を継続すること。消費者が消炎鎮痛剤を購入しやすい環境を維持できるよう、各機関に働きかけることも重要です。消炎鎮痛剤は、ロコモティブシンドロームを回避し、健康寿命を延ばす一助になれると考えています。
 さらに「貼り薬」の技術の活用は、消炎鎮痛剤に留まりません。現在も「貼り薬」として気管支拡張剤、アルツハイマー認知症治療剤、局所麻酔剤などを提供しています。「貼り薬」は内臓への負担軽減や副作用が起きた場合にすぐ取り除けるといったメリットが数多くあります。また医療の現場では患者さんの状況に応じた剤形の選択肢の一つとして「貼り薬」があるのは心強いですとのお声もいただいています。
 私は祐徳薬品工業と同じ1952年に生まれで、入社した1976年の主力商品は救急絆創膏「カットバン」でした。その当時の祐徳薬品工業を振り返ると、現在の祐徳薬品工業は大きく力強く、進歩しています。
 10年後、20年後、そして100周年を迎える祐徳薬品工業が、より皆さまの健康に寄り添い、医療関係者の皆さまのお役に立てる企業であるように、これからも邁進してまいります。

代表取締役社長
吉武 浩幸

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